国士 2019 11 30

ニュースでは、元首相の中曽根康弘氏が逝去したと報道されました。

 中曽根氏は、20代で選挙に出馬しました。
当時は、戦争が終わったばかりの混乱期で、
野犬が多く、野良犬の胴体に「中曽根康弘」と書いて、
犬にも選挙活動してもらったという。
駆け出しの政治家で選挙が苦しかったかもしれない。
 当時は、おおらか時代でしたが、
今だったら、犬による選挙活動は公職選挙法違反になるでしょう。
 しかし、公職選挙法が厳格になればなるほど、
政治家は、小粒になっていく。
もはや、大政治家が出現することはないでしょう。
 政治とは、結果責任である。
国民を幸福にしたのが問われるのであって、
その過程が問われるものではありません。
 会社も似たようなもので、
成長期にある会社は、おおらかなものだったのに、
成熟期になると、作法や儀式に夢中になるでしょう。
 会社の成長が止まれば、
作法や儀式が得意な人たちが台頭してきて、
「取り締まり」を行うようになる。
しかし、作法や儀式で会社は成長しない。
 もちろん、政治家が小粒になったのは、
小選挙区制という失敗にあります。
 日本においては、小選挙区制は適していません。
このような選挙制度を考える人は、
独裁的傾向がある人でしょう。
小選挙区制では、党本部が圧倒的に強くなります。
 日本においては、多様性を確保するために、
中選挙区制に戻すべきです。
 かつて、田中角栄氏は、
本来、政敵であるべき村山達夫氏に、
票を分けてあげたという話を聞いたことがあります。
 村山達夫氏は、租税のスペシャリストでしたが、
いかんせん選挙に弱く、四苦八苦していたという。
 田中角栄氏は、国益を考えて、
政敵を助けたのだと思われます。
「もう、日本には国士がいなくなってしまったのか」
 先人たちが命懸けで築いた資産を食いつぶすだけなのか。
作法や儀式に夢中になり、日本の未来は、誰も考えていないのか。
少なくとも、今の政治家には、そういう思考はありません。
手柄を立てることに夢中で、日本の未来など全く考えていないでしょう。
今の官僚も、自分たちの出世しか眼中にないでしょう。
これで国家は成り立つのか。

人生120年時代 2018 5 27

2018年5月27日の時事通信社には、このようなニュースがありました。

 中曽根康弘元首相が27日、100歳の誕生日を迎えた。
1947年に衆院議員となって以来、
自主憲法制定をライフワークとしてきた同氏の憲法改正への意欲は衰えず、
今も機会を捉えて発信を続ける。
 周辺によると、
中曽根氏は足腰の衰えが目立ってきたものの、
東京都内の事務所を週2回程度訪れ、
書類整理や来客との面会をこなしている。
 読書への意欲は依然として旺盛で、
新聞の書評欄や広告で目に留まった書籍があると、
「買っておいてくれ」と指示があるという。
(引用、以上)
 100歳を超えて現役の政治家である中曽根氏に、
私も、コメントを書きます。
 私の家の本棚には、中曽根氏の著書があります。
「政治と人生 中曽根康弘回顧録」(講談社 1992年出版)
 当時、私は、こう思いました。
「このようなものを書くのは、まだ早すぎる」と。
 さて、100歳になった今こそ、
中曽根氏は、回顧録を書くべきだと思います。




























































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